杏理の部屋
……こんなものかなぁ?
武志先輩の映画同好会を見学しにいく、日曜日当日がやってきた。
私は鏡の前で、念入りに髪や服装をチェックする。
お化粧もファッションも特に得意というわけじゃないけど、なるべく清潔感のある感じで、自分にできる精一杯のお洒落をしたつもりだ。
(よし……多分大丈夫だよね。
そろそろ出なくちゃ)
時計を見上げ、バッグを手に取る。
ふと、机の上に置いていた長編小説が目に入った。
友達と遊ぶ予定やバイトがない日は、ゆったりと時間を使って読書をするのが私の習慣だ。
この本も少し前に買った新刊で、3分の2くらいの場所に栞を挟んでいる。
いつもだったら何より優先して、じっくり本の続きを読みたくなるところだけど……
(……また夜に、ね)
私は本の表紙を軽く撫でると、わくわくと浮き立つ気持ちのままに、家を出たのだった。
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北野坂
(確か、ここの公園で撮影してるんだったよね。
えーと……)
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公園
(……あっ!)
公園に入ると、目的の姿はすぐに見つかった。
端の方に立つ先輩と、彼の前で三脚に取りつけられたカメラを覗く女性。
カメラが追う先では若い男女が何か会話をしていて、周りには音声さんらしき女性と、照明さんらしい男性も見受けられる。
(もしかしなくても今、撮影中……だよね?)
役者さんを見る先輩の横顔は真剣で、邪魔をするわけにもいかず今はとても話しかけられない。
カットがかかるまで離れたところで待っていよう……と思っていると、先輩たちからやや離れて、荷物が置いてある場所に座っていた男性が私に気づいたみたいだ。
…………?
事前に話がいっていたんだろう。
男性は『彼の知り合いだよね?』と聞くように武志先輩の方を指差す。
(はい、そうです……!)
声を出さずこくこくうなずくと、彼は笑顔と手招きで私を呼んでくれた。
静かに近寄っていき、そっと撮影を見学させてもらう。
…………。
女性の役者さんは、20歳くらいだろうか?
とても可愛らしいのだけどクールな雰囲気もあって、猫のように一筋縄ではいかない印象がある。
彼女と並んで歩いていた男性は、途中で立ち止まった。
こちらも20くらいだと思う。
整った顔立ちには、素朴な戸惑いがありありと浮かんでいた。
……どうかした?
数歩行き過ぎた女性は足を止め、しなやかな動きで彼を振り向く。
言い訳を……考えていたんだ。
……でも、君は何も聞かない。
…………。
彼女は何も言わず、ただ微笑む。
――すると、先輩が手を上げた。
はい、カット! 今の、かなりイメージ通りで良かったです。
ただ、ヤスユキさんの台詞、もう少し抑えたパターンもらっていいですか?
戸惑いをちょっと減らして、何も言わないリオを訝しんでるような雰囲気を足す感じで。
ああ、なるほど。
わかりました。
私もちょっといいですか? 台詞のイントネーションなんですけど……
皆が打ち合わせを始めると、私に気づいてくれたさっきの男性も腰を上げる。
……オレもちょっと行ってくるね。
武ちゃん今いいとこだから、ちょっと待っててあげて。
は、はいっ。
彼は輪の中に入ると、役者さんの衣装や髪を整えているようだ。
(あの人は衣装さんとかスタイリストさんなのかな?)
じゃあそういうことで、まず1テイクよろしくお願いします。
シーン32、カット2、テイク2。
先輩がカメラの前でカチンコを鳴らすと、また演技が再開する。
短いシーンはすぐに終わり、カットがかかって……
先輩はまた少し役者さんと相談しながら、何度か撮り直したりしていた。
……うん、やっぱりこっちの方がいいな。
2人とも、バッチリです。
色々なコードや機材と繋がったモニターにはさっきの映像が映し出されているらしく、先輩は満足そうに笑みを広げる。
よし! 次、シーン50も一緒に撮っちゃおう。
ユウヒさん、大丈夫ですか?
おう。
ヤス君、レフ板頼むわ。
任されました。
(……そっか。
自主制作映画だもんね。
皆、スタッフと役者を兼ねてるのかな)
機材を動かしたり細かい調整をしたりと、誰もが真剣にてきぱき動いている。
私はというととにかく邪魔をしないように、ほとんど物陰に隠れているような状態だった。
続く撮影を、ただ黙って見守る。
30分くらいはそうしていたけど、私は少しも退屈しなかった。
思っていたよりもずっと本格的な撮影。
専門用語みたいなのも飛び交って、会話の意味が全部わかったわけじゃないけど、先輩たちにしっかりと伝えたいものがあることや、できる限りいいものにしようと懸命なのは伝わってきた。
(完成したら見せてもらえるかな? きっといい映画になるんだろうな……)
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・
……うん、いい感じ! ありがとうございます! ここで一旦休憩にしましょうか。
あ、OK? じゃあしばらく前から待ってたお友達の相手してあげなよ。
え?
先輩、お疲れ様です。
…………。
私を振り向いた先輩の顔が、何故かさっと青ざめる。
へ!? あ……、えっ、嘘!? 杏理ちゃん、いつから……!?
……10時からじゃないんですか? そういう約束だったって言ってましたよね。
そ、そうだよね。
30分以上も……
ごめん! 俺が呼びつけたのに……本当に申し訳ない!!
え!? いえ、そんな謝ってもらうことでは……!
深く頭を下げられたことにむしろ驚いてしまって、私はぶんぶんと首を振った。
見学のために呼んでもらったので、普通に見学してただけですし。
そもそも私も邪魔しないように、あんまり見えない場所にいましたから……。
いやでも、気づかないとかないって。
うわ~、ごめん……!
あはは! 武志は集中するとホント周り見えなくなるからな。
ごめん、許してやって。
も、もちろんです。
怒ったりとか全然してませんよ。
そう言ってもらえると助かる……。
まぁ落ち込んだ顔してないで。
ほら、私達にも紹介してよ。
友達というか、後輩なんでしょ?
えーと……はい。
同じ高校の1年で、岡本杏理ちゃんです。
初めまして、よろしくお願いします!
お辞儀をすると、皆は気さくに「よろしくー」と返してくれる。
これ、良かったらどうぞ。
お口に合うといいんですけど。
え、もしかして差し入れ?
はい、ちょっとしたお菓子です。
わー、ありがとー!
そんな気まで遣ってもらっちゃって。
ありがとう、杏理ちゃん。
いえ! 先輩もどうぞ食べてくださいね。
これから昼食休憩だし、私も遠慮なく頂こうかしら。
皆はそれぞれに機材などを移動させると、近くのベンチや遊具に座ったり、簡易イスを出したりして腰を落ち着けた。
杏理ちゃんも、ここ座りなよ。
軽くメンバーも紹介するから。
はい、失礼しますね。
じゃあ……まずは今日メインで役者をやってた、主人公とヒロインの2人からいこうか。
女の子の方が、日高怜ちゃん。
俺と同い年の高校3年。
学校は違うけどね。
えっ、高校生だったんですね。
20歳くらいかと思ってました。
でも考えてみれば、2歳差だからそんなに変わらないのかなぁ。
いや、そう言ってもらえたなら思惑通りだよ。
実際、ヒロインの年齢は20歳の設定だし。
大人っぽいメイクにしてることもあるけど、学生感を排した演技のおかげが強いと思う。
このヒロインってミステリアスで主人公を翻弄するところもあるので、高校生っぽく見えないようにっていうのは心がけてるんですよね。
……あ、確かにこうやって喋ってるのを見ると、演技中とは全然印象が違いますね!
やっぱり、すごーい……。
怜さんは期待の星だから。
そっちのヤスくんもだけどね。
うん、主人公役をやってたのが多田泰行さん。
20歳で本業は大学生だよ。
一応この映画の主役をやらせてもらってます。
よろしく。
微笑んでくれる彼に、私も笑って会釈を返す。
彼は口数の多そうな感じではなかったけど、すごく存在感がある……と言えばいいのだろうか。
座っている姿勢や些細な仕草に、はっと目が引きつけられてしまうようだ。
はいはーい、次、オレは自分で自己紹介ね。
オレは衣装担当の三宅将臣って言います。
彼女募集中で~す♪
もー、オミさんはすぐそういうこと言うんだから。
武志くんが気を悪くしたらどうするの。
……え!? い、いや、別に俺は気を悪くしたりはしないけど。
何、武志くんの彼女じゃないの? ユウヒさんからはそう聞いたわよ。
(彼女……!?)
ちょっと!
悪い悪い、ちょっと面白を優先して話を膨らませちゃってさ。
正直に言えば許されるってもんじゃないですからね……! ゴメン、杏理ちゃん。
い……いえ……!
(先輩となんて、そんな……。
じょ、冗談でも、私じゃ釣り合わないんじゃないかな?)
ユウヒさん、いい年して……。
うっ、悪かったよ。
杏理さんもゴメンね。
いえっ、大丈夫ですよ。
ユウヒさん……ですか?
ああ、野崎悠飛です。
メインの担当は照明。
小道具とか作ったりもするけどね。
悠飛さんは、IT企業の社長さんなんだよ。
その言い方は誤解を生むなぁ。
全然大企業とかじゃなくて、小さいWEB系の会社だから。
ええっ、十分すごいですよ。
社長さんでお忙しいでしょうに、撮影まで……。
本当、いつ寝てるのかわからないのよねこの人。
……あ、私はカメラや映像関係担当で、榎本さとみ。
いやー若い女の子が見に来てくれると張り合いが違うってもんよね。
さとみさん、何かおじさんみたいですよ。
……えーと、私は音声と、デザインもちょっとやるかな。
福永朋っていいます。
よろしくね、杏理ちゃん。
はい、こちらこそ……!
(どの人も格好いいし、綺麗だなぁ)
(顔立ちが整ってるってだけじゃなくて、個性とか眼力もあるっていうか……)
さっきも見てて思ったんですけど、皆さん役者も兼任されてるんですよね?
うん、どうしても人手不足だしねー。
オレとか演技いまいちなのは自覚してるけど、開き直ってるよ。
武志くんの脚本、「演じられる人がいないから」って理由で変えさせるのは避けたいしさ。
今日のメンバーはこれだけど、同好会はあと5人いて、その人たちも役者兼任してもらってるよ。
それでも足りなかったら、家族とか友達知り合いにも声かけてチョイ役で出てもらったりするんです。
……前も老婦人役がどうしても要るって、悠飛さんのおばあさん引っ張り出しましたよね。
ふふっ、そんなことが……。
マジ、俺より演技上手かったよな。
正式に同好会入りしてほしいくらいだったよ、本当。
パンやお菓子をつまみながら、和気あいあいと雑談する。
先輩以外とは初対面の私も、とても親しみやすい空気だ。
(皆、年齢も職業もバラバラなのに、全然気兼ねしてないみたい。
まさに『仲間』って感じだな)
(……羨ましいかも)
読書の時間を取りたかったことや、バイト優先だったのもあり、私は部活などをしたことがなかった。
予算や時間が限られている中、共同作業でひとつのものを作り上げようとする姿が、眩しく見える。
(もちろん、バイト先でも同僚や社員さんとサポートし合ったりはするけど……)
(そういうのともちょっと違うよね)
うまく説明できない、不思議な感じ。
どこか心地いいその感覚を抱きながら、私は皆を見つめていたのだった……。