【==== 図書室 ====】
あっ、あの……
その本、次に私が借りてもいいですか!?
……えっ……?
目の前の彼は、びっくりした顔で足を止める。
……それから、私は初対面の先輩らしき人へ挨拶もなく声をかけてしまったことに、やっと気がついた。
あっ……! す、すみません、いきなり……!
その本を借りたくて図書室に来たところだったので、つい……
ん……? ……あ~、なるほど、コレね!
彼は自分の手元を見ると、私の不躾な態度に顔をしかめるどころか、にこりと柔和な笑みを浮かべる。
いいよ、今から返そうと思ってたとこだし。
シュナイダー監督、好きなの?
はい……。
といってもこの前『恋愛サボタージュ』を観ただけのいわゆる“にわかファン”ですけど。
あはは。
ま、最初はみんなにわかファンみたいなもんだから。
彼はくすくすと肩を揺らしながら、受付で返却の手続きを済ませて、私に『フランツ・シュナイダーの映画論』を渡してくれた。
ありがとうございます。
じゃ、私も早速……
本と自分の利用者カードを渡し、ピッとバーコードで読み取ってもらえば、貸出終了だ。
良かったぁ。
本屋でも探したんですけど、結構高かったから……。
だよね。
この手の本ってどうしてもマニア向けになるし。
実はここに置いてある関連本、俺のリクエストなんだ。
高価な本で一気には無理だから、入学から2年以上かけてこつこつとさ。
この本は今年刊行だから、最近入ったばかりなんだけどね。
秘密の悪戯を打ち明けるような微笑に、少しドキッとする。
(2年以上……っていうことは3年かな? やっぱり先輩なんだ)
そ、そうなんですか。
それは、私も感謝しないと。
どういたしまして。
……でも、ちょっとびっくりしたよ。
え……?
君、ぱっと見は大人しそうだから。
いきなり初対面の相手に声かけたりしなそうっていうか。
……! うぅ、それは驚かせてしまって大変申し訳ないと……
ああいや、気を悪くさせたらゴメン。
嫌味とかじゃないから。
むしろシュナイダー監督に興味ある子いるんだーって嬉しいよ。
決して無名じゃないけど、外国の人だし、一般的にはまだマイナーだしね。
そうそう。
この図書室で持ってるあと2冊の関連本も、今俺が借りてるんだ。
そっちはまだ――、……っと、ゴメン。
かすかにヴー、とバイブ音がして、先輩がポケットから携帯を取り出した。
(……あ! 先輩のスマホケース、見覚えがある)
(あれって映画館で売ってた、『恋愛サボタージュ』の数量限定グッズだよね)
(先輩、本当に監督のファンなんだなぁ……)
感心混じりにそう思っていると、先輩は軽く画面を確認しただけですぐに携帯をしまい直す。
ゴメンゴメン、友達からの連絡待ってるとこだったからさ。
……で、ええっと……。
ああ、思い出した。
俺が借りてる他の関連本、まだ読み終わってないから返すのは2、3日後になっちゃうけど……
その後で良ければ、君も読む?
え……、……っ、はい、是非よろしくお願いします!
お、いい返事。
シュナイダー監督の本なんて……って言うのも何だけど、こういうマイナー本度々借りるの、俺くらいだから。
特に予約とかもいらないだろうし、2、3日中に返却しておくよ。
はい……! ありがとうございます。
楽しみにしてますね。
改めて頭を下げて、去っていく先輩を見送る。
……名前も聞いていなかったと気づくのは、しばらくして家に帰り着いてからだった。
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杏理の部屋
(……しまったなぁ、名前聞き忘れたし、名乗り忘れたの)
(別に、次に会った時に改めて自己紹介すればいいんだけど)
その日の夜。
後は寝るだけとなった私は、ベッドに寝転がりながら今日のことを思い返していた。
先輩に名乗りもせず、失礼だったな……と反省する気持ちもある。
でも……そんな申し訳なさも一旦わきに置いてしまうほど、私は手元にある本に心を弾ませていた。
(……まあ、今はそれは置いておいて!)
(せっかく借りてきたシュナイダー監督の本なんだもん、大事に読まなきゃね)
お風呂上がりの清潔な手で、慎重にページをめくる。
『フランツ・シュナイダーの映画論』……
シュナイダー監督自身の語る、技術的なものから精神的なものも含めた理論集だ。
各作品のシーン画像をふんだんに載せたりと、パラパラ見ているだけでも楽しめる。
だけどもちろん、インタビュー形式の文章もすごく興味深くて面白かった。
紹介されている映画は、『恋愛サボタージュ』以外は全く観たことがない。
それでも、紹介されている映画の見どころや魅力は十分に伝わったし、監督が映画というものを通して表現したいもの、その情熱が、強く感じられた。
(ちょっとはネタバレになっちゃうけど、私は元々あんまり気にしない方だし、本当に重要なオチとか仕掛けについてはぼかしてあるしね……)
(……ああっ、でもそれにしても未視聴なのがもどかしい!)
(近くにレンタルビデオのお店があったはずだから、今度借りに行かなくっちゃ……!)
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高校教室
杏理、武志先輩と話したんだって?
……えっ?
翌日。
昨日評論本を真剣に読みすぎてちょっと寝不足気味の昼休み……
友達の唯にそう聞かれた私は、最初本当に、何のことだか意味がわかっていなかった。
武志先輩って?
あれ、違うの? ほら、ハーフの先輩。
武志・サンセン・楠さん、だったかな?
図書室で話してたって聞いたけど……。
……あっ、ああ! あの人、武志さんっていうんだ。
知らないで喋ってたんだ……? まあこの辺だと、ハーフの生徒もそんな珍しくないもんね。
でもあの先輩、ハーフだしイケメンってこと抜きにしても結構人気あるみたいだよ~。
だから私にも噂が聞こえてきたんだもん。
噂!? 何か変なこと言われたりしてる……!?
いや、別にそういうことはないと思うけど。
図書室で騒いでたって言うから、目立ってたんじゃない?
……はっ。
確かに、割と大きな声出しちゃってたかも。
(今更だけど恥ずかしくなってきた……)
先輩の名前も知らなかったってことは、昨日が初対面?
うん。
私の借りたい本をちょうど先輩が返しにきたから、つい勢いで話しかけちゃって。
なーんだ。
私の知らないところで、人気の先輩と杏理が密かにお付き合いしてた……とかかと思ったのに。
…………いやあ、あはは。
ないよ、それは。
密かにお付き合いしてるのに、突然図書室で騒いで密愛発覚っていうのも変だし。
……もう、ちょっとは『えっ!? そ、そんなことないよ!』とか乗ってくれてもいいじゃない。
つまんない反応するんだから。
花の高校生だってのに、今のうちから枯れてどうすんの。
枯れてる……というか、まだ芽が出てもいないというか。
……ま、あたしは時間の問題だと思ってるけど?
杏理って見た目は派手じゃないけど可愛いし、むしろそういうのがいいって男の人も多いだろうし。
真面目だけど、引っ込み思案とか人見知りってわけでもないしね。
あー、あたしが男だったらほっとかないってのに!
はいはい、ありがと。
ふざけて抱きつこうとする唯を避けながら苦笑する。
彼女は中学からの付き合いで、遠慮なく話せる親友だ。
恋愛っ気のない私を昔から気にして、アドバイスしてくれることもある。
(……だけど唯って、恋愛もののドラマとか漫画が好きだったり、片思いとかしてる話はよく聞くけど……実際付き合った人はいないんだよね)
(その点で言うと、私より純情なんじゃないかという……)
……杏理、何か失礼なこと考えてない?
か、考えてないよ。
私もいつか恋人ほしいな~って思ってただけ。
ならいいけどっ。
唯は拗ねた表情で、お昼ごはんのパンをかじる。
私も買ってきていたサンドイッチをバッグから取り出しながら、頭はまだ切り替わっていなかった。
(……恋人……。
ん~……)
昨日映画を観た後も、『私もいつか恋する時が来るのかな?』なんて思ったけど。
多少冷静になった今は、やっぱりそれは遠い世界の話のようにも感じる。
別に『私を好きになってくれる人なんて……』と過剰に卑下するつもりはないものの、私って特に秀でているものや、すごく打ち込んでいるものがあるわけでもないし……。
(他の子じゃなくて、私を選ぶ理由って何だろう?って思っちゃうんだよね)
(そりゃあ、私だっていつまでもこのままじゃないんだろうけど)
……恋愛のことだけじゃなくて、それ以外のことも全く見通しが立っていないのも原因なのだろうか。
将来何になりたいのか、何をしたいのか……明確な希望を、まだ私は持っていなかった。
読書は大好きだけど、それはあくまで”趣味”として、”受け手”として好きなだけ。
例えば小説家や脚本家などになりたいと思ったことはない。
じゃあ、他に何かやりたいことはあるのだろうか? 向いていること、才能があることは……?
そう探してみても、特に何も見つからない。
今は1年だからまだいいけど、2年、3年になったら進路も決めなくてはいけないのに。
私は将来、どうなっているんだろう? どうなりたいんだろう……?
(……うう~ん……)
……? 杏理、食べないの?
え……、……あ、ううん! 食べる食べる。
いただきまーす……!
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杏理の部屋
その日の夜……。
……はー……。
(こっちの映画もすごく面白かった……!)
私は前回観た『恋愛サボタージュ』とは別のものを……と借りてきたシュナイダー監督作品のDVD、『あしたの友達』という映画をさっきまで観ていたところだった。
こっちは『恋愛~』とはまた違って、少しSF要素を含んだ内容になっている。
男女の主人公が難問解決に協力して取り組むうちに友情が芽生え、そしてラストは、もしかしたらこの2人は恋に発展するかも……と予想させる、甘酸っぱくて爽やかで、優しい雰囲気のストーリーだ。
(『恋愛サボタージュ』は人の明るい面も暗い面もごまかさずに描いた……って感じだったけど、こんなふうに温かい気持ちになれるような作品も作るんだ)
(でも、単に商業的な理由や目新しさのために雰囲気を変えたんじゃなくて、底に流れるものは同じというか……)
(人間のどんな部分もちゃんと見つめて、受け止めようとしてるって感じがする)
この作品のことは評論集にも載っていて、観てから本を読み直すと「なるほど……」と感心してしまうことばかりだった。
(明日はまた別のを借りてこようっと!)
(ああ、武志先輩が借りてる本も早く読みたいな……!)
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【==== 図書室 ====】
そしてまた、翌日の放課後。
いえ、その本はまだ返却されていませんね。
そうですか……。
図書室に行ってみたものの、私の期待ははずれてしまった。
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そして、その更に翌日も……
【==== 図書室 ====】
いえ、その本はまだ貸出中です。
……そうですか……。
受付の生徒から返ってくる言葉は変わらない。
(武志先輩、まだ読み終わってないのかな? それなら仕方ないよね)
残念なのは確かだったけど、私も手元に本が来たらじっくり堪能したいと思うだろうし、武志先輩を急かすわけにもいかない。
(3日前に『2、3日で読み終わる』って言ってたんだし、もう少し待ってれば、前みたいに武志先輩が返却しに来るかもしれないけど……)
(ううん、いいや。
今日は諦めてバイトに行っちゃおう)
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ファーストフード店
いらっしゃいませ! ……はい、クーポンのご利用ですね! かしこまりました。
学校を出て私が向かったのは、書店……ではなく、もうひとつのバイト先であるハンバーガーショップだった。
本屋のバイトはお小遣いのために自分から始めたものだけど、こっちは数ヶ月前、アルバイト経験のなかった唯に誘われて、一緒に応募したものだ。
とはいえ今日は唯と一緒のシフトじゃないから、彼女はいない。
(作業にも慣れてるし、唯がいないから不安ってことはないから、まあいいんだけど……)
本がまだ返却されていなくて落胆していたこんな時は、明るい唯の顔を見たかったな~なんて思う。
(でも、そんなこと言ってちゃダメだよね。
バイトでもお仕事なんだから、集中集中)
……いらっしゃいませ。
ご注文はお決まりですか?
――――えっ。
……え?
次のお客さんに応対しようとしたその時、顔を見合わせてつい動きを止めてしまう。
……あれっ、杏理ちゃん!?
武志先輩!?
…………ん?
(んんっ?)
(あれ、どうして先輩、私の名前知ってるんだろう……?)