山手八番館
~3話~

ファーストフード店

武志

……あれっ、杏理ちゃん!?

杏理

武志先輩!?

武志

…………ん?

杏理

(んんっ?)

杏理

(あれ、どうして先輩、私の名前知ってるんだろう……?)

武志

杏理ちゃん、何で俺の名前……

店員

……コホン、岡本さん。

杏理

…………!! し、失礼いたしました、お客さま。
ご注文をお伺いします。

武志

あ……ああ、そっか、そうだよね。
えーと……。

武志

じゃあ新商品のベーコンかぼちゃバーガーと、ジンジャーエール。
あとポテトのSで。

杏理

かしこまりました。

注文を通し、支払いをしてもらう間、先輩が小さく笑って呟く。

武志

ごめん。
シュナイダー監督の本、まだ返せてなくて。

杏理

え……あ、いえ、そんな!

武志

杏理ちゃんが待ってるのは気になってたんだけど、予定より時間がかかっちゃってさ。

武志

期間限定の新商品に惹かれたのと、ついでにこの店で最後まで読み切ろうと思って、偶然入ってきたんだ。

武志

杏理ちゃんに会えたのは予定外だったけど、ラッキーだな。

杏理

……そ、そうですか? ……あ、お釣り、230円のお返しです。

武志

ん、どうも。

杏理

こちらジンジャーエールです。
番号札をお持ちになって、お好きな席でお待ちください。

武志

ありがと、杏理ちゃん。

武志

俺さ、期間限定とか数量限定商品ってすごいロマンがあって好きなんだよな。
楽しみにしてる。

先輩は上機嫌で言うと、ドリンクと番号札の載ったトレイを持って席に向かっていった。

杏理

(限定物にロマン……?)

杏理

(……あ。
名前何で知ってるのか、聞きそびれちゃったな)

すみませーん、注文いいですか?

杏理

……! はい、いらっしゃいませ!

しばらくお客さんの対応を続けていると、遅めの時間になったせいか、ふと客足が途切れる。

その隙に各テーブルの片付けをしながらちらっと武志先輩の方を窺うと、彼は熱心にシュナイダー監督の本を読みふけっているようだった。

遠目だけど本は結構な分厚さで、今先輩が見ているページも、見開き丸々小さな字で埋め尽くされているみたい。

杏理

(わー、あれじゃ時間かかっても仕方ないよね)

読書が苦手な人なら、一見しただけで「うわ……」と放り出してしまいそうな文章量だ。

杏理

(でも先輩、すごく真剣に読んでる)

杏理

(実は映画だけじゃなくて、結構読書も好きだったりするのかな?)

仕事中だから、こっちから話しかけにいくなんてできないのがもどかしい。

……それから1時間ほどが経ち、見ると先輩は本を読み終えたらしく、しばらく座ったまま追加のドリンクを飲んだり、本を見返しながら何か考え事をしているようだった。

時々何かを呟く、真面目な横顔がどこか可愛らしくも思えておかしい。

横を通りがかる時についくすっと笑ってしまうと、先輩は顔を上げて、照れくさそうに髪をかきあげた。

武志

あのさ、杏理ちゃん。
シュナイダー監督の映画って、『恋愛サボタージュ』以外に観た?

杏理

シュナイダー監督の? ……えっと、『あしたの友達』ならDVDで。

武志

そうなんだ。
……今日、バイト何時まで?

杏理

バイトはあと1時間くらいなんですけど……。

武志

そっか。
じゃあその頃また来るからさ、5分だけ時間もらってもいい?

杏理

え? ええ、構いませんよ。

武志

ありがと。
じゃあまた後で。
ごちそうさま!

先輩はそう言うと、そのまま店を出ていった。

杏理

(……わざわざまた来るって、どうしてだろう?)

店員

岡本さーん。
ごめん、ちょっとこっち手伝ってもらっていい?

杏理

あ、はい! すぐに行きます!

北野坂

杏理

お疲れ様でした!

予定通りにバイトを終えて、店の外に出る。

先輩はまだ来ていなかったので、入り口近くのわかりやすい場所で少し待っていると……

武志

杏理ちゃん! ゴメン、待たせちゃったかな。

杏理

先輩。
いえ、ついさっき出てきたところですから。

夜道を駆けてきた先輩は私のそばで立ち止まり、何かの袋を差し出してきた。

武志

さっきの本、読み終わってすぐ渡せたらいいんだけどさ。
図書室に返却せず又貸しするわけにいかないし。

武志

だから明日返却するまでの間、これで暇つぶししてもらえたらなと思ってさ。

杏理

……? 中身見てもいいですか?

武志

もちろん。

渡されたのは、よく書店でもらえるようなマチのない長方形の袋だ。

中に入っていたのは、A4サイズの薄めの冊子で……

杏理

――あっ! これ、『あしたの友達』のパンフレットですよね!?

武志

そう。
通販での取り扱いがないから、劇場に行くかオークションとかでしか手に入らないやつ。

武志

これも限定品って言えば限定品だよね。

楽しそうな先輩を見上げて、私は目を輝かせてしまう。

杏理

これ、お借りしてもいいんですか?

武志

うん。
監督コメントも載ってて、結構面白いと思うよ。

杏理

あ……ありがとうございます!

勢い良く頭を下げると、今度は先輩の方が、おかしそうにくすりと笑った。

武志

やっぱり杏理ちゃんって、案外元気な子なんだね。

杏理

……そんなに私、大人しそうな感じでしたか?

武志

うーん、大人しそうというか……物静かで控えめなタイプって第一印象だった。

武志

それが悪いとかじゃ全然ないんだけど……ほら俺って、生まれつきで割と見た目が派手でしょ?

武志

だから、真面目な子には怖がられる……っていうと大げさだけど、あんまり近寄られないことも多くて。

杏理

あぁ……でも、それはわかる気がします。

杏理

実際、私もそんなに積極的だったり社交的な方じゃありませんし……。

杏理

格好いい人とか人気者の人を見ても、『キャー素敵!』ってなるより、気が引けちゃうんですよね。

杏理

これも大げさに言えばなんですけど、芸能人を見てる感覚に近いっていうか。

杏理

住む世界が違うし、自分なんか相手にされないだろう……みたいな。

杏理

……でも武志先輩は、すごく話しやすいですよ。

『杏理ちゃん』と男の人に呼びかけられるなんて、親戚以外からはほとんどない。

だけど武志先輩からだと、自然にすっと受け入れられた。

いい意味で特別扱いされてない感じ。

先輩はどんな相手でも分け隔てなく、そうやってフレンドリーなんだろうなって思えるから。

武志

……イヤ、俺は別に格好良くも人気者でもないけどね?

はにかんで唇を綻ばす表情が、やっぱりあどけなくて可愛いな、なんて感じた。

杏理

そういえば……先輩、どうして私の名前を?

武志

ん? ああ、君と図書室で話してた時、俺の友達が近くにいたみたいでさ。

武志

そいつが君のこと知ってたんで、教えてもらったんだ。

武志

妹が杏理ちゃんの友達だって。
藤村って言ってわかるかな?

杏理

藤村……ああ、唯のお兄さん! あそこにお兄さんがいたんですね。

武志

杏理ちゃんが俺の名前知ってたのは?

杏理

先輩のことは、その唯に教えてもらったんです。
図書室で騒いでたの噂になってたよ~って。

武志

噂……

杏理

先輩、俺は人気者じゃないって言いましたけど、そんなことないですよ。

杏理

ちょっと話しただけで噂になっちゃうんですもん。
皆、先輩のこと気にしてるんですね。

武志

……いやいや。
まあ、そう言ってもらえるのは嬉しいは嬉しいけど。

武志

っていうか杏理ちゃん、俺のことからかって楽しんでない?

杏理

そ、そんなことは……!

杏理

(……気恥ずかしそうにしてる先輩が面白いって、ちょっと思っちゃってたかも)

武志

送ってくよ。

杏理

…………えっ。

武志

結構長く話し込んじゃったしさ。
俺の都合で待たせといて、夜道をひとりで帰れはないでしょ。

杏理

いえ、でも……。

武志

俺の顔を立てると思って。
……このままじゃ年上の威厳がないからさ。

杏理

…………、……ふふっ、はい、じゃあ……。

帰り道に聞いてみると、先輩はやっぱり読書が好きみたいだった。

映画にかける時間の方が多いからそこまで量を読むわけじゃないらしいけど、話題になった本やオススメされた本はジャンル問わず楽しんでいるそうだ。

映画関係の評論本や技術本から、一般的な小説、エッセイ、漫画、雑誌まで。

杏理

そんなに。
すごいですね、私は結構好きな作家さんとかジャンルに偏りがちだから。

武志

すごいって言われるほどじゃないよ。
広く浅く、ネタ探しも兼ねてるから。

杏理

ネタ探し、ですか?

武志

そ、自主製作映画の。
俺、映画同好会やってるからさ。

杏理

え……! うちの学校、映画同好会なんてあったんですね。

武志

ああいや、部活じゃないんだ。
学校関係なく、勝手に活動してるの。

武志

映画研究部って昔うちにもあったらしいけど、人数少なくて廃部になったみたいでね。

武志

それ復活させても良かったんだけど……。
どうしても出演者が高校生に限られちゃうし。

武志

予算も部費内に収めなきゃとか、内容的にも制限かかりそうとか色々あって。

武志

それで、知り合い通じてとか、ネットで友達になった映画好きの人とか……

武志

そういう皆に協力してもらってるってわけ。

杏理

……へええ……! 先輩が中心になってですか?

武志

ん? まあ……一応はそうかな?

武志

皆で助け合ってる感じだから、年上年下とか、誰がリーダーとか、普段は気にしないけどね。

杏理

(……先輩、本当にすごいなぁ)

単に映画を観るのが好きというだけでなく、自分でも撮影しているなんて。

しかも高校の中に留まらず、率先して人を集め、実際それに応えて協力してくれる人がいるんだ。

行動力だけでなく、人望がないとそんなことはとても実現できないだろう。

武志

……聞いてた杏理ちゃんの家、この辺りだったよね?

杏理

あ……はい。
あそこの家です。

杏理

先輩、わざわざ送っていただいてありがとうございました。

武志

どういたしまして。
あの本、明日6時限目終わったら速攻で返しに行くからね。

先輩は軽く手を振って、去っていく。

借りたパンフレットを抱きしめるようにして、私はその後姿が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。

杏理

(……いったいどういう人なんだろう、武志先輩って……)

親しみやすくて気さくで、でもそれだけじゃない。

一応は読書家である私よりも、きっと先輩の方がたくさんの知識を持っていて……

『知っている』だけじゃなく、それを活かして映画を撮ったりと、たくさんの経験をしているんだ。

杏理

(……もし、できるなら)

杏理

(先輩とはもっと、色々話してみたいな……)

高校教室

翌日の放課後。
私は早速図書室に向かおうと荷物をまとめていた。

すると……前の席の洋子ちゃんが、おずおずと声をかけてくる。

洋子

ごめん、杏ちゃん。
ちょっといい?

杏理

ん? 何……って、洋子ちゃん!? 顔赤いよ!?

どしたの、ふたりとも……うわっ、ヨコ! 熱でもあんじゃない!?

洋子

そうかも……。
昼ぐらいから具合悪かったんだけど、何かどんどんふらふらしてきちゃって。

洋子

早く帰ろうと思ったんだけど、私、今日掃除当番なんだよね。
だからせめて代わりを頼まないと……

杏理

いいよいいよ、そんなの! 私が代わりにやっておくから。

洋子

ほ、ほんと……?

私も手伝ってあげたいんだけど……ごめん杏理、美化委員の招集かかっててさ。

杏理

大丈夫だって。
洋子ちゃん、お家の人に迎えにきてもらった方がいいんじゃない?

洋子

だよね……。
おばあちゃんが家にいると思うから、電話してみる。

じゃあ迎えが来るまで、保健室で休んでなよ。
連れてってあげるからさ。

クラスメイトの男子

岡本さん。
今日、俺も当番だから。
パパッと片付けちゃおうよ。

杏理

そうだね。
うん、一緒によろしく。

高校廊下

……2人がかりだったとはいえ、掃除は20分ほどかかってしまう。

掃除用具を片付けて教室を後にし、改めて図書室へ行こうとするけれど……

その足取りは微妙に重かった。

杏理

(放課後になってすぐ図書室に行けば、運が良ければ先輩と会えるかなと思ったけど……)

杏理

(この時間じゃきっと、返却済ませて帰っちゃってるよね)

杏理

(ちょっと楽しみにしてたから、それは残念だなぁ……)

杏理

(まあ、いいや! 仕方ないことだよね)

杏理

(返却されてる本を読んで、気持ちを切り替えようっと……!)