山手八番館
~10話~

高校校門

その後、高3である先輩たちは慌しく卒業までの日々を過ごし、気がつけば、私達在校生は蛍の光を聴かされていた。

だけど、映画関係の専門学校に進学を決めていた武志先輩は、他の進学組の卒業生たちとは少し違っていた。

年越しまで編集作業があったこともあり、最後までどこの専門学校にするのかを考えていたため、3月に入ってから学校が決まったというかなりきわどい状況だったらしい。

居酒屋

無事卒業できた先輩に、映画同好会のメンバーたちが卒業祝い&壮行会をしてくれるということで、春休みに入った最初の金曜日にその会は行われた。

そこで初めて同好会メンバーの本音を聞いた。

やはり皆先輩の才能と今後の活躍にはとても期待していて、先輩なら間違いなく日本の、ひょっとしたら世界の映画界までを背負えると豪語した人もいた。

私も、そう思っている一人ではいるのだけど。

北野坂

武志

寂しくなるなぁ。

杏理

……そうですね。

壮行会終わりの帰り道、街の灯りを眺めながら歩く。

こうして先輩に送ってもらうのはもう何度目だろうか。

できれば先輩の記憶には笑顔の私を残したくて、涙が出てくる前にひとりで帰るつもりだった。

でも先輩に「送るよ」って言われると、少しでも長く一緒にいたい気持ちに逆らえなくなってしまったのだ。

杏理

私も、寂しいです。
……同好会も解散しちゃうんですもんね。

そう。
発起人である先輩が東京へ行ってしまうため、この映画同好会は今日をもって一旦解散、という形になっていたのだ。

杏理

(先輩は草太くんにリーダーを引き継いでもらってもいいかなって考えてたみたいだけど、草太くん自身が「これは武志くんのチームですから」って断ったんだよね)

武志

でも解散って言っても、これで縁が切れちゃうわけじゃないしさ。

武志

俺たちが作った臨時のチームは一旦なくなるけど、そもそも俺たち、「映画好き」って大きなくくりでは、いつだって仲間なんだ。

武志

また機会があれば、一緒に撮影することもあるだろうしね。

杏理

そう……ですね。
本当に同好会の皆さん、素敵な人ばかりで……。

杏理

これっきりなんて、もったいないですもんね。

ふっと、先輩の足音が消える。

武志

――杏理ちゃんも、だよ。

杏理

…………え?

私も足を止めて振り向いてから、今まで彼の顔をちゃんと見ていなかったことに気づいた。

先輩はとても真面目な表情で、私に向き合っている。

武志

杏理ちゃんとの縁も、俺はこれっきりにするつもりなんてないよ。

武志

この前も言ったでしょ? 杏理ちゃんは仲間なんだって。

杏理

……先輩……。

武志

高校も学年が上がってくると忙しくなるし、杏理ちゃんには迷惑かもしれないけど……

武志

シュナイダー監督の話とか、俺がまた新作撮ったら観てもらったりとかもしたいし。

武志

よかったら、これからもメールとかさせてほしいな。

杏理

そ……それは、もちろん! 私からも是非、色々連絡させてください!

武志

うん。

先輩はほっとした様子で頬を緩める。

彼は、私が抱いている本当の気持ちにまでは気づいていないだろうけど、お別れを前にして元気のない私を、励まそうとしてくれたんだろう。

杏理

(……そう、今はこれでいいんだ)

杏理

(離れる寂しさや不安はあるけど、焦って急いだって仕方ないもん)

杏理

先輩! 頑張ってる先輩に負けないように、私も次に会うまでには、もっと成長しておきますね。

武志

……うん! その時を楽しみにしてるよ。

高校教室

そして……春がやってきて、私は高校2年生になった。

杏理、また同じクラスで良かったね~!

杏理

うん! 2年になってもよろしくね。

「中だるみ」なんてよく言われる2年生の生活。

でも私は、バイトにも勉強にも、なるべく手を抜かないようにと努力した。

相変わらず、何を目指すかとか、進路をどうするかはまだはっきり決めてないけど……

たくさんのものに興味を持つ中で、本気で打ち込めるものを見つけられるように。

そうして将来の夢を持てたときに、先輩たちのように輝けるように。

そう思って、私は一日一日を、大事に過ごしていった。

杏理の部屋

杏理

……あ! 先輩からメール……!

震えた携帯を手に取って、私はワクワクと内容を確認する。

こうして時々お互いにメールをしあう仲になれたのは、とっても嬉しい。

杏理

(前も、撮影の見学や映画のことで連絡を取ったりはしてたけど、今は日常の他愛ないことでも、気軽にメールできるもんね)

先輩は多忙なようで、返信が数日空いたりすることもあるけど、それも頑張っている証拠だと思えてむしろ応援の気持ちが湧くばかりだ。

杏理

(あれ、またメール……)

杏理

(あっ、クーポンメールだ。
新作全品50%OFF!? これは急がないと……!)

休日でのんびりしていた私は、先輩からもらったメールへの返事を送ると、すぐに支度をして街へと飛び出す。

北野坂

店員

ありがとうございましたー。

杏理

(ふぅっ、間に合って良かった。
もうほとんどレンタル済みになりかけてたからなぁ)

安堵の息をつきながら、私はレンタルDVDショップの外へ出た。

手元の袋に入っているのは、先輩から面白いと聞いていた映画のDVDが3本。

私はこうして、武志先輩からオススメの映画情報を仕入れては、少しでも安く借りるためにセールやクーポンを見逃さないように目を光らせているのだ。

杏理

(ケ、ケチってるわけじゃないのよ。
先輩にオススメされたもの以外も観るし、色んな映画をたくさん借りるには安いに越したことはないわけで……)

誰にともなく心の中で言い訳しつつ、いそいそと家への帰り道を辿る。

杏理

(……帰ったら、どれから観よう)

杏理

(後で先輩と感想をメールし合うのも楽しみだな……!)

ファーストフード店

杏理

いらっしゃいませー!

いらっしゃいませ!

そして私は書店とバーガーショップでのバイトも続けていて、お小遣い稼ぎに社会勉強にと張り切っている。

解散してしまった同好会のメンバーが遊びに来てくれることもたまにあるから、それもやりがいのうちのひとつだ。

すみませーん。
アボカドバーガーひとつ。

杏理

はい、かしこまりました。

杏理

(……あ……)

【==== バックヤード ====】

しばらく働いた後の休憩時間。
私はレジ中に思ったことを、ぽろりと唯にこぼしてしまう。

杏理

……私ってダメだなぁ……。

…………えっ?

杏理

(……期間限定アボカドバーガーの注文が入った時、武志先輩がいたら喜んで注文してるだろうな~なんて)

杏理

(もう5月になるのに気持ちが収まらないというか、ひどくなってるというか……)

杏理

(そのうち一日中先輩のことばかり考えちゃうようになったりしたらどうしよう……!?)

ど、どしたの、杏理? 何か悩みでもあるなら聞くよ……?

杏理

え……あ、ううん、心配かけちゃってごめんね!

杏理

大丈夫、自分で何とかできると思うから。

……そう? それならいいんだけど……。

【==== 書店 ====】

気持ちを切り替えて頑張ろうと意気込んで、数日が経ち……。

緒方

そういえば杏理ちゃん、あのコーナー結構評判いいよ。

レジにお客さんが並んでいない時、緒方さんが作業の合間に話しかけてくる。

杏理

あのコーナー……。
……あっ、私が企画した映画関連本コーナーですか?

緒方

そうそう。
実写化の原作本のチョイスもだけど、撮影術とかの技術本もかなり役に立ったって、お客さんから。

杏理

わあ、本当ですか……!

杏理

(あれも、次に先輩と会える時までに映画の知識を深めておきたいって勉強したから、それが役に立ったんだよね)

杏理

(……って、これも先輩がらみじゃないのー!!)

そう思うだけで、顔が火照る。

店長

あれ、岡本さん、顔赤いけど大丈夫? 風邪なら無理しないでね。

杏理

ああっ、はい。
大丈夫です。
なんでもないです!

店長と緒方さんに愛想笑いをしてなんとか誤魔化したが。

杏理

(あー、こんなんじゃダメだ……! どんどんダメ人間になってくよぉ)

杏理

(私ってこんな性格だったかな!? なんだか先輩無しじゃ生きていけないみたいな子になってるし……)

杏理

(こんな私を見られたら武志先輩に何て言われることか……)

自分の自制心のなさに、肩を落としてしまっていると――

どこからともなく声がかかる。

???

……う~ん、そういう表情もいいね。

杏理

えっ……

一瞬、会いたい気持ちが強すぎて幻を見たのかとすら思った。

武志先輩が、カウンターの向こうに立っている。

武志

久しぶり。
杏理ちゃんがメールに書いてた映画関連本コーナーっていうのがどんなのか見たくてさ。

彼はそのコーナーから持ってきたらしい本を数冊、レジへ差し出した。

武志

あ、それにバーガーウインズの『地域限定但馬牛バーガー』の情報、サンキュー。

武志

あれ、東京じゃやってないんだよね。

杏理

…………ええーっ!! 武志先輩!?

店長

お、岡本さん。

杏理

はっ……。
す、すみません!

驚きのあまり大きな声を出してしまった私をたしなめつつも、店長は気を遣ってくれる。

店長

……そういうことか。
じゃ、岡本さん、少し早めだけど休憩に入っていいよ。
ゆっくりしておいで。

杏理

あ、は、はい。

杏理

『そういうこと』がどういうことかよくわからないですけど、あ、ありがとうございます!

北野坂

先輩がレジに持ってきた本のお会計を済ませた後、私たちはお店の邪魔にならないようにと、外へ出て立ち話をする。

杏理

先輩……本物の先輩ですよね?

武志

うん、東京から久しぶりに戻ってきた生身の俺です。

私が知っているのと全然変わらない明るさで、にっこり微笑む先輩。

見惚れてしまいそうになるものの、戸惑いも大きくて、心とは裏腹に眉根を寄せてしまう。

杏理

ど、どうして来るって先に連絡してくれないんですか!

杏理

先にわかってれば、シフト代わってもらって時間作ったのに……。

武志

いや、前もって北野に寄ろうと思ってたわけじゃないんだ。

武志

最初からそのつもりなら、もっとちゃんとスケジュール組むしさ。

武志

映画関連本コーナーを見にっていうのと、但馬牛バーガー買いにっていうのも、実は後付けなんだよね。

武志

本音をいうと、次の映画のこと考えてたら、何となくで……。

武志

気づいたら途中下車して、杏理ちゃんのところに来ちゃってたんだ。

杏理

つ、次の映画のことを考えてて、私のところに?

杏理

……って、どうしてそうなるんですか!? 全然意味わからないです!!

武志

あはは、ごめんごめん。
つい思いつきで実行しちゃったけど、驚かせたよね。

杏理

……ま、まあ、こうして会えたのは嬉しいので、謝ってもらう必要はないんですけど……。

杏理

(……ん? そういえば先輩、さっき『途中下車』って……)

杏理

先輩、何かこっちに来る用事があって来たんですよね?

武志

そうなんだよね。
学校の課題映画製作のために、新幹線でロケ地の広島、尾道に向かってたんだ。

武志

そこでチームメンバーとも合流する予定でさ。

杏理

…………えっ?

杏理

先輩、そんな思いつきで神戸で下車して大丈夫だったんですか? 次の新幹線は?

武志

1時頃には撮影始めたいから、42分発のに乗るつもり。

杏理

42分!? あと20分くらいしかないじゃないですか……!!

杏理

駅までそこそこあるし……先輩、ちょっと待っててください!

……私は一度バイト先の本屋に戻り、先輩は久しぶりに会った知り合いであること、彼はすぐに発たなければいけないので見送りをしたいことを店長に伝えた。

もしかしたら戻ってくるまでに休憩時間を少しオーバーしてしまうかもしれなかったけど、「そうなったら俺がカバーするから」と緒方さんも口添えしてくれて、見送りの時間をもらえることになった。

私は何度も頭を下げて、先輩と一緒に駅へ向かっていった。

駅のホーム

新幹線の発着ホームへ行くと、先輩の乗る車両は既に到着していた。

杏理

よかった、間に合ったみたいですね。

杏理

でも突然すぎて、お茶をする時間もないなんて……。

杏理

先輩! 今度北野に来る時は、絶対事前に連絡してくださいよ。

武志

うん、わかった。

目を尖らせる私を、先輩は指で作ったファインダー越しに、笑顔で覗いている。

杏理

もう、先輩……!

武志

笑顔が一番だけど、怒った顔の杏理ちゃんもいいね。
新発見だ。

杏理

……あっ。

武志

最初に「大人しそうな子」って思った俺、本当見る目なかったなぁ。

武志

杏理ちゃん、こんなに感情豊かでいい顔するんだから。

杏理

…………。

そうなれたのは先輩のおかげですよって言いたかったけど、喉に熱いものが詰まってしまう。

私は別に喜怒哀楽が少ない方じゃなくて、普通に笑ったり、怒ったりしてたと思うけど。

でも武志先輩と出会ってからは、それまでよりずっと深く、そしてたくさんの感情を感じるようになった。

特にやりたいことや打ち込むこともなくて、ぼんやりと不安を感じていた毎日に、武志先輩や映画同好会のメンバーという、キラキラした人たちが現れて……。

輝いている皆を眩しく思っていただけの私を、先輩は光の輪の中に混ぜてくれた。

杏理

あの、私……。

何か言おうとしたけど、ちょうど発車メロディがホームに鳴り始める。

先輩は急いで、新幹線へ乗り込んだ。

武志

杏理ちゃん、夏休みには戻ってくるよ。
その時また会える?

杏理

は、はい! 予定、空けておきます!

ドアが閉まって、窓ガラスが私たちを隔てた。

名残惜しかったけど、すぐに出発の時間が来て、車体が動き出した。

もう聞こえないだろうけど、私は精一杯手を振る。

杏理

また、夏休みに……!

杏理

私、待ってますね……!!

杏理

(……それまで、もっと成長できるように頑張ります)

杏理

(もし会えなかったら、私、今より暴走しちゃうかもしれないんで……)

杏理

(だから……ちゃんと、会いにきてくださいね、先輩)

嬉しくて切ない胸の中で、こっそり冗談めかして……

私は去っていく新幹線を、いつまでも見送っていた。

……小さくなっていく、杏理ちゃんの姿。

涙をこらえ、笑顔で手を振ってくれる彼女が見えなくなるまで、俺はずっと車両ドアのそばに立っていた。

武志

(……夏休みか。
その頃なら……)

武志

(もう、映画祭の結果も出てるかな)

杏理ちゃんにも少しだけ出演してもらい、期待以上の成果だった、あの映画。

あの出会いがなければ、俺はまだ悩んでいたかもしれない。

それは彼女の『才能』を見出したという意味じゃなく、俺の中に芽生えた新しい『躍動』だった。

もしかするとそれは、恋とか愛とか、そういった類のものなのかもしれない。

だけど、今の俺にとっては間違いなくそれよりも大きな意義を持っていた。

そう、俺の創作意欲に新たな火をつけたのだから。

今の課題映画を撮り終えた次の作品の構想や主人公のイメージは、おぼろげにだが既に浮かんでいた。

……もし杏理ちゃんがOKを出してくれるのなら。

もし彼女がまた、あのカメラの前で見せてくれたような『ときめき』を俺に見せてくれるのなら……。

武志

(絶対、良い映画になるぞ……!!)

自然と漏れる微笑みを浮かべながら、とうに見えなくなった杏理ちゃんに俺は遠くない約束をするのだった。