山手八番館
~8話~

山手八番館

その後も映画の撮影は順調に進み、年内にはほぼ予定通りに撮り終えた。

武志先輩の予定では、その後の1月中に編集を終え、2月には試写を予定していた。

他の3年生達が受験やセンター試験などでバタバタとしている最中も、先輩はひたすら編集作業に没頭していたようだった。

私はまだ正式に先輩の進路について聞かされてはいなかったが、それを私から聞く勇気もなく……。

たまにスマホで様子を尋ねては作業の邪魔をしないようにと、『どうか無理をせず、頑張ってください』と書いたメッセージを何度か送っただけだった。

高校教室

しばらく先輩とは会えない日が続き、禁断症状もそろそろ限界かなと思った2月のある日のことだった。

ジィジィーっと、鞄の中から小さな振動音が聞こえた。

所有者である私でなければまず気づかない小さな振動音だ。

私の学校は授業中はケータイ、スマホともに禁止だが、休み時間であれば校則に則ってさえいれば使用できる。

運良く休み時間に着信したことに感謝しつつ、私は慌てて鞄からスマホを取り出した。

杏理

(……あっ、やっぱり!! 先輩からのメッセージだ!)

それは、映画同好会メンバーがグループとなっているメッセージアプリへの着信だった。

杏理

(『皆さん、お待たせしました。
何とか、パイロット版ができたので、うちで試写会をしたいと思います』)

杏理

(や、やったーっ!! ようやく編集が済んだんだ!)

早速私は、『お疲れ様でした! ついに完成したんですね。
早く観たいです』と、返信をした。

他の同好会のメンバーの人達からも、同様の返信が着いていた。

杏理

(どんな感じに仕上がってるんだろう。
初めて出演した先輩の映画……)

杏理

(……私はどんな風に“映ってる”んだろう……)

そう思うと居ても立ってもいられなくなり、今すぐにでも先輩の元へ行きたくなった。

杏理

『いつやるんですか、試写会?』

はやる気持ちを抑えながらメッセージを送る。

『今のところ、今度の日曜の13時で考えてるんだけど、皆はそれでいい?』

先輩からの返事も早い。
私も負けじと『私は全然問題ないです』と打ち返した。

他の人達もほとんど問題ないか、問題がある人も時間の調整ができるとのことだったので、日時はそれで決定した。

杏理

(今度の日曜が楽しみだぁー! 今すぐに試写を観たい気持ちも本当だけど……)

杏理

(武志先輩に会えるのがやっぱり楽しみ。
他の人達はたまにバイト先に来てくれたしね)

杏理

(……先輩に……早く会いたい)

そしてついに、待ちに待った日曜がやってきた。

杏理の部屋

遠足前日の小学生のように、昨夜は興奮してあまりよくは眠れなかった。

杏理

(……よく考えたら、今年になって先輩と会うのは今日が初めてなんだ)

杏理

(なんだか変に緊張しちゃうなぁ……。
どんな顔して会ったらいいのかな)

気づかれない程度に、いつもよりほんの少しだけお洒落して、予定時間の15分前には着くように家を出た。

山手八番館

先輩が住んでいるという山手八番館の前までやってきた。

北野の異人館はどれも特徴的な建物が多いが、この山手八番館も例外ではなく、近くまで来ると圧倒される。

同じような形をした3つの棟が連結したような建物で、玄関入口付近には奇妙な2体の鬼の像が左右に立っていた。

玄関の上部には、絵画のような美しいステンドグラスが4枚ほどはめ込まれており、館の荘厳さを思い知らされる。

杏理

(……先輩、こんなところに住んでるんだ。
まるで中世の外国にでもやって来たみたいだ……)

玄関には『ご自由にどうぞ』という札があったので、私は静かに中へ入った。

どうやら早く映画を観たがっていたのは私だけではなかったようだ。
私の場合、映画だけではないけれど。

すでに同好会メンバーの何人かが廊下で立ち話をしていた。

すぐさま、『杏理ちゃん、久しぶり!』と気さくに声をかけてくれたのは泰行さんだった。

その隣にいた怜さんも、挨拶代わりに右手を小さく揺らす。
将臣さんやまゆちゃんも一緒だ。

杏理

(よくよく考えれば、自分達が主役なんだから、早く観たいに決まってるよね……)

杏理

おはようございます、泰行さん、怜さん。
お2人とも早いですねぇ。

泰行

ああ、何かあれば手伝おうかと思ってね。
けど、俺達よりも先着がいて、手伝うことは何もないって。

武志くんが先に悠飛さんたちに声を掛けていてくれたみたいなの。

杏理

そうだったんですか。
私なんてのんびり来ちゃって……。

杏理ちゃんはそれでいいの。
そうでなければ私達が気を遣っちゃうもの。

泰行

そうそう。

泰行

だから今日は、お客さん側の立場で観てもらって、ぜひ感想を聞かせてほしいな。

泰行

そのほうが武志くんも喜ぶと思うし。

私達じゃ客観的に観れないもんね。

杏理

はい、任せてください。
できるだけまっさらな気持ちでに、お客さんになったつもりで観させてもらいます!

私も本当の意味で客観的に観ることはできないかもしれないが、私にできることはそのくらいなのだと思った。

この時、私は自分が“お呼ばれ”気分で来ていたことに少し後悔していた。

映画同好会は基本的には趣味とはいえ、プロの人も参加している、いわば“個展”のようなものだ。

インディーズ作品の評価として、人によっては今後の仕事や、自身の売込みなどにも大きく影響するはずだ。

先輩でなくても、みんなこの映画の成功を心より信じているのに違いなかった。

杏理

(先輩も、もしこの作品がどこかの映画祭なんかで評価されたら、いきなりメジャー監督とかになったりして……)

そんなことを思いながら、立て札の案内に従い、怜さんたちと一緒に試写会場の部屋へと向かった。

【==== 試写室 ====】

部屋の途中にあった、赤い2脚の立派な椅子の間を通り抜け、その奥の部屋へと案内は続いていた。

あとから先輩に聞いた話だが、さっきの椅子は『サタンの椅子』と言って、座った人の願いを叶えてくれるらしい。

杏理

(一般公開もしてるらしいけど、何だかすごい所に来ちゃったなぁ……)

辺りをきょろきょろしながら歩いていると、試写会場の部屋の前に先輩が立っているのが見えた。

武志

どもー。
皆、お待ちどうさまでした。
何とかパイロット版が間に合ったよ。

泰行

武志くん、お疲れさま。
どんな出来になってるのか、今からすごく楽しみだよ。

お疲れさま。
今回は特に大変だったでしょ。
この後はゆっくり休んでね。

武志

ありがとうございます。
まぁそうもいかないんですけどね。

先輩の顔にはやや疲れの表情が見て取れたが、それでも達成感に満ちたその表情には、作品に対する自信と自負が窺えた。

杏理

(……よかった。
いつもの武志先輩の顔だ。
前よりも少し大人っぽくなったような気がするのは気のせい?)

将臣

手伝えることがあったら何でも遠慮なく言ってよ。
こっちで出来ることはやるからさ。

武志

その時はよろしくお願いします。

まゆ

まゆも早くみたい!

武志

ああ、そうだったね。
これで皆集まったかな?

先輩はぐるっと周りを見渡した後、私を見てにこりと微笑み、優しい声で話しかけてくれた。

武志

……杏理ちゃんも、来てくれてありがとう。

杏理

あ、い、いえ……。
せ、先輩こそ、編集作業どうもお疲れ様でした!

突然振られて、私も適当な言葉を返してしまう。

久しぶりに会える先輩になんて声を掛けようか、どんな顔をして会おうか、色々と考えていた私の計画がすべてすっ飛んだのだ。

……それでも。

武志

杏理ちゃんに手伝ってもらったお陰で、良い映画になったよ。
本当に、ありがとう。

杏理

いえ、そんな私なんて……。

杏理

(……まだちゃんと教えてはもらえてないけど、先輩は卒業したらこの街から出て行く……)

杏理

(こうして映画が完成して、少し大人びた先輩が私の知らないどこか遠くへ行ってしまったとしても……)

杏理

(私は今、この目の前にいる先輩のことを生涯忘れないと思う)

【==== 試写室 ====】

しばらくして、私達が着席したのを見計らってから、試写室の照明が落とされた。

上映が始まり、それまで「あのシーンは大変だったね」とか、「あそこはもう少し演技を変えるべきだった」とか、メンバーの人達が撮影を振り返りながらわいわい話していたのが、まるで水を打ったかのように静まり返った。

私も心地よい緊張とともに、先輩が編集したパイロット版に集中した。

シーンはばらばらに撮影していたとはいえ、思っていた以上に私の知らないシーンが多かった。

杏理

(……なるほど、こう繋がるのか)

当初は流れる映像と撮影時の思い出なんかが重なって見えていたが、そのうちぐいぐいと引き付けられるように、映画に見入ってしまっていた。

杏理

(……すごい! 出てる役者も演出もとても素人が作った映画だとは思えないレベルだ……)

杏理

(……自分が出ていたところを除いては、だけど)

さすがに自分が出ていた箇所は恥ずかしくて客観的な判断はできなかったけれど、そこすらも綺麗に表現されていて、当初私が出ているとは思わなかったくらいだ。

映画の終盤も、展開や結末は知っているのに、思わずラストシーンではつい涙ぐんでしまった。

そして、1時間半程度の上映はあっという間に最後を迎え、観に来ていた人全員の盛大な拍手が沸き起こった。

メンバーや招待された人は各々に感想やら賛辞の言葉を掛け合い、互いに参加できて良かったと称え合っていた。

私も、周りの人に「最高でした!」と言い回りながら、映画の余韻をかみ締めていた。

そんな私のところへ、先輩がすぅっと人をすり抜けるようにしてやってきた。

武志

杏理ちゃん、どうだった?

杏理

先輩! ほんとにもう、最高でした!

杏理

先輩がやりたかったことってこういうことだったんだなぁって、出来上がったものを観て、ようやく理解できました。

杏理

それが正しいのかどうかは、わからないですけど……。

武志

そう言ってもらえると嬉しいなぁ。
自分だとなかなか客観的に見れないからさ。

杏理

わかります。

武志

正解とかないから、観てくれた人が何かを感じて、それが良くも悪くも心に残ってくれたらそれでいいし。

杏理

そういう意味では、私の心のど真ん中にガツンと直球できましたよ。

武志

……そうか。
よかった、ありがとう!

先輩は何かの試験をやりきったような清々しい表情で笑みを浮かべた。

だが、何かを思い出したようで、すぐにその表情は曇っていった。

武志

……杏理ちゃん。
俺、高校卒業したら東京の専門学校に行こうと思ってるんだ……。

杏理

……そ、そうなんですか。
いいじゃないですか、そこで思いっきり映画の勉強ができるのなら……。

武志

…………ごめん。
話すのが遅くなっちゃって。

武志

大阪の学校とかでもいいのかなぁとか、少し悩んじゃって。

杏理

……先輩が行きたいところに行くのが一番いいよ。
先輩の夢なんだから。

武志

……うん。
ありがと。

杏理

こんなにすごい映画が撮れる先輩なんだもん。
これからもっとすごい映画を撮って、早く有名にならないと。

自分の声が震えているのがわかった。

武志

…………。

杏理

だから、頑張ってくださいね、先輩。
……他の人が呼んでますよ。
それじゃ、私はこれで……。

私はこのままその場所にいれば泣き出してしまいそうだったので、笑顔が保てているうちにその場を離れようとした。

武志

ちょ、ちょっと待って!

離れようとする私の右手首を、先輩が強く握りしめた。

武志

これ、今回の試写と同じ内容だけど、一応皆に渡そうと思って。

そう言って、透明なケースに入ったDVDを手渡された。

杏理

あ、ありがとうございます……。

私はDVDを受け取ると、先輩の顔をろくに見もせずその場を去った。

なんだか、そのDVDが『さようなら』の替わりに思えたからだった。