洋館長屋
~6話~

【==== 洋館長屋店内 ====】

優紀さんが淹れてくれた2杯目のコーヒーが、花のような香りを放つ。
私の前でメモをとる準備をしている優紀さんは、真摯な眼差しの中に隠しきれないわくわく感が見えて……

莉子

(なんだか、大好きなものを前にした少年みたい)

年上なんだろうけど、つい微笑ましい気持ちになってしまう。

莉子

(初めて会った時だって、お店の時計を生き生きと紹介してくれたよね)

莉子

(普段は穏やかなお兄さんって感じなのに、時計が関わると童心に返っちゃうのかな?)

莉子

(きっと、本当に時計が大好きなんだ)

優紀

……すみません、お待たせしました。それでは莉子さん、いいでしょうか。

莉子

あっ、はい、大丈夫です。よろしくお願いします。

優紀

こちらこそ。色々聞かせていただきますが、よろしくお願いしますね。

優紀

それでは……まずは、莉子さんは「どんな時計が欲しい」などのイメージはございますか?

莉子

そう……ですね……。

莉子

う~ん……自分の腕時計を持ちたいとは思ったんですけど、特に「こういうデザインがいい」みたいな明確な希望は、今はないんです。

莉子

どんな種類があるのかも、正直よくわかっていませんし……。

下調べをしてくるべきだったかなと、少し反省していると、優紀さんはその答えすらも楽しそうに頷いた。

優紀

なるほど。それでしたら……。

優紀さんが、店内に飾ってある腕時計を、いくつかこっちのテーブルへ持ってきてくれる。
それから、たくさんの時計の写真が入ったアルバムもその横へ広げた。

優紀

こちらは、過去にこの店で作った女性ものの腕時計です。

優紀

色々なタイプの時計がありますので、どうぞ参考になさってください。

写真の中の時計は、ジュエリーのようにきらびやかで繊細なものもあれば、シンプルで清楚なものだったり、変わった細工のかわいらしい作りや、カジュアルなものなど……様々な魅力あるデザインで溢れていた。

莉子

わあ、すごい! とても自由度が高いんですね。

優紀

女性はその場のスタイルによって、身につける時計のデザインが大きく変わってきますからね。

優紀

デザインへの細やかな気遣いが男性ものとはまた違って、作るのにやりがいがありますよ。

優紀

どうでしょう? 莉子さんが気になるような時計はありますか。

莉子

ええっと……。

並べてもらった過去の作品や、今の売り物の時計をじっと見つめる。

莉子

あ、この時計は文字盤が木製なんですね。

優紀

ええ。小鳥の置時計と同じように天然木材を使っているので、木目の出方がランダムになるんです。

莉子

温かみがありますね。……こっちは、何だろう。七宝焼みたいな……?

優紀

クロワゾネと呼ばれる技法です。おっしゃる通り、日本の有線七宝と同じようなものですね。

莉子

こっちのは……すごく繊細な模様が文字盤に……。

優紀

それは父の作ったものです。ギョーシェという技法で、華やかで上品な雰囲気ですよね。

私が興味を示すと、彼はそれが自分が作ったものでも、お父さまが作ったものでも変わりなく、すらすらとわかりやすく説明してくれた。
幅広いデザインサンプルからは彼らの技術の確かさを感じて、きっとお客さんの望むものを素晴らしい形で実現してくれるんだろうなと思う。

だけど……どれもこれも素敵に見えて、これはこれで頭を悩ませてしまった。

莉子

(どれも違った良さがあるし、迷っちゃうな)

莉子

(絶対木製がいい!とか、この色が好きだから取り入れたい!とか、そういうこだわりも特にないし)

莉子

(どんなものが、私にとっていい時計なんだろう……)

口もとに手をやって考え込む私に、優紀さんが表情をなごませる。

優紀

こちらはあくまでもサンプルなので、この中から選んでほしいというわけではないのですよ。

優紀

それに、すぐに明確なイメージを出さなくてもいいんです。

優紀

なんとなく好きなものや雰囲気を挙げてもらったり、どういう時に使いたいかなどを伝えてもらったりするだけでも、充分参考になりますから。

莉子

そういうのでしたら……。

時計をつけた自分を想像してみる。

どうして自分が時計を欲しいと思ったのか。
どういうふうに時計と付き合っていきたいのか。

莉子

(私の……時を刻む時計……)

莉子

……そうですね。

莉子

着飾った時につけるというよりかは、日常にいつもしていたい感じでしょうか。

優紀

なら、あまり大きかったり、派手なものではない方がいいですね。

莉子

好きなものは……清楚な感じのものが基本的に好きです。だけど、ちょっと遊び心があるともっと嬉しいかな。

優紀

清楚で、遊び心……。

優紀

それでしたら、文字盤とバックルを品のあるシンプルなものにして、針で遊んでみるのはどうですか?

優紀

こちらの時計のように、針の形をアレンジしたり、針に飾りをつけるようなこともできますよ。

莉子

わあ……、かわいい!

優紀さんが指差したのは、針が蝶の羽の形をした時計の写真だ。
細長い葉っぱのようなラインなのに、時を刻む動きが、ちゃんと蝶がはばたいているように見える。

優紀

こちらは、蝶が好きなご依頼主さまだったので、蝶をモチーフに作らせていただいたんです。

優紀

莉子さんもそういった思い入れの深いものや、なにか好きなものはありますか?

聞かれて……ふと、あることが心をよぎった。

流れるように、店内にあるひとつの時計に目がいく。
涼太に貰った置時計と同じ型の、小鳥の時計。

優紀

莉子さん……?

優紀さんが私の視線の先を捉える。それから、ゆっくりと優しい笑みを浮かべた。

優紀

……鳥のモチーフを入れますか?

はっとして、私はすぐに首を振った。

莉子

あ……違うんです。今のは……。

莉子

そういう意味で見ていたわけじゃないんです。すみません。

莉子

その……。

優紀

はい。

莉子

……貰った置時計はかわいらしくてとても好きですし、気に入っているんです。

莉子

だけど、私も涼太も特に鳥が好きとか、鳥にまつわる思い出があるとかそういうのは無くて。

莉子

だから……だからどうして、涼太はあれを贈ってくれたんだろうなって、思ってしまって。

優紀

…………そうでしたか。

莉子

あっ……でも、あの時計は本当にデザインが素敵でしたし。

莉子

きっとそれが気に入って、その上、アラーム機能がついていたからとか、そんな理由なんでしょうね。

彼の声が深刻なものに変わったのに気付いて、自然な感じを心がけてそう流した。
だけど優紀さんは真剣な面持ちをして、彼なりの答えをくれる。

優紀

……父の話では、橘さんは腕時計を選ぶ時に、『大人になった自分と付き合っていく時計が欲しい』とおっしゃっていたそうです。

優紀

だから、彼があの時計をあなたに贈ろうとされたのにも、何か大人になる莉子さんへの想いが込められているんじゃないでしょうか。

店内の小鳥の置時計を見て、優紀さんが目を細める。
きらきらとガラスの小鳥たちが、今日も時と共に変化をみせていた。

優紀

……たとえば、たくさん小鳥が集まっているのを見て、こんなふうに友達に恵まれて賑やかな未来になってほしいなとか。

優紀

鳥のように自由に大空をはばたいて、広く活躍してほしいとか、そんなふうな……。

莉子

…………

莉子

(そうなのかもしれないな……)

本当のことはわからないけど、でも、きっと涼太なりに私へと想いを込めてくれたんだと思う。
そうだったら、とても嬉しい……そうも思った。

莉子

(……さっきは、なんとなく目で追ってしまっただけだったけど、本当に鳥をモチーフにしてもいいのかもしれない)

莉子

(だとしたら、どんな鳥がいいだろう)

同じことを優紀さんにも伝えて、私は鳥、鳥……と頭の中で呟いた。

そうして――ふと思い浮かんだのは、あの有名な童話だった。

莉子

……青い鳥……。

莉子

青い鳥とか、どうでしょうか。幸せの象徴だって言いますし。

優紀

あ……。

小さい声が上がる。
彼はどうしてか、ちょっと虚をつかれたような、戸惑うような表情を浮かべていた。

莉子

あ、あれ? すみません、なにか私、変なことを言ったでしょうか?

優紀

あ……いえ……。

莉子

……?

首を傾げる私に少し考えて、躊躇いながらも優紀さんは口を開く。

優紀

すみません、気になるような態度を取ってしまって。

優紀

『青い鳥』はとても有名なお話だと思いますが……莉子さんがご存知の『青い鳥』はどんなストーリーですか?

莉子

え……?

莉子

(……そういえばタイトルは知ってても、絵本やアニメとかでちゃんと見たことはなかったかも)

莉子

そうですね……なんとなくのあらすじしか知らないですけど……。

莉子

たしか、チルチルとミチルの兄妹が、幸せの青い鳥を探して旅に出るお話ですよね?

莉子

だけど見つからなくて、家に戻るともとから家にいた鳥が青くなっていた。

莉子

幸せは身近にある……そんなことを伝えるお話だったと思うんですけど。

優紀

……ええ、それが有名なあらすじですし、私も最初はそう思っていたのですが……。

莉子

違うんですか?

優紀

……実はうちに『青い鳥』の原書があるんです。見ていただけますか。

優紀

ちょっと待っていてくださいね。

頷くと優紀さんは奥へと行って、すぐに少し古びた本を持って帰ってくる。
表紙には青い鳥のイラストと、見慣れない文字が並んでいた。

莉子

これは……フランス語?

莉子

(そういえば……優紀さんはフランスの人とのハーフなんだっけ)

優紀

ええ。『青い鳥』の作者はベルギーの方なんですが、原作はフランス語で書かれた戯曲なんです。

優紀

童話劇の台本なんですよ。

莉子

えっ……!

莉子

私、原作はてっきりアンデルセンとかグリムのお話のように、童話なのかと思ってましたけど……。

優紀

ええ、私も同じように驚きました。

優紀

でも、もっと驚いたのは、お話のラストで……。

優紀

この、チルチルとミチル。ふたりの兄妹が旅を終え、家に戻ってきたところです。

優紀さんが本を開いて、最後の方のページで止める。
かいつまみながら、その内容を私に訳してくれた。

――旅を終え、家に帰ってきたチルチルとミチル。
すると、チルチルが飼っていたキジバトが、いつの間にか青くなっているのに気付きました。

チルチルは隣に住んでいるおばさんに頼まれて、その青い鳥を、おばさんの娘である病気の女の子にあげることにします。
すると奇跡が起きて……隣の女の子は元気になり、チルチル達のところへお礼にやってきました。

喜びながら、青い鳥について話をするチルチルと女の子。
チルチルは鳥が餌を食べるところを見せてあげようと、女の子から一度鳥籠を返してもらおうとしました。

すると、女の子は無意識に、鳥籠を手放すまいとためらいます。
そうしているうちに――

青い鳥は鳥かごを出て、飛んでいってしまったのです。

【==== 洋館長屋店内 ====】

優紀

――女の子は絶望の声を上げて、泣き出しました。

莉子

えっ……!

訳していた優紀さんの言葉に、目を丸くする。

莉子

(そんな……)

莉子

青い鳥って、最後に逃げてしまうんですか……!?