浄恋寺
~6話~

浄恋寺

おはよう明了! 今日も来たわよ!何かお手伝いさせてちょうだい。

……という言葉通りに、それから直は、ちょくちょく寺にやってくるようになっていた。

ある時は他の檀家の方と一緒に、念仏会(ねんぶつえ)に参加してみたり。
ある時はちょっとした雑用を手伝ってくれたり……。
トメさんの法要でも顔を合わせていたせいか、彼女がいる日々にも、だんだん慣れてくる。

そして、四十九日も過ぎてしばらくした今日の直は庫裏の一室にパソコンを持ち込んで、何やらカチャカチャとキーボードを叩いていた。

ちょっと調べたんだけど、最近はお寺でも、紙じゃなくデータで檀家さんの名簿を作ったり、寺務作業の管理を行うところも増えてるらしいわね。

明了のお寺もあんまり僧侶さんの数が多くないし、お仕事は効率化した方がいいわ。

明了

そうですよねえ。私も慶道さん達もあんまりパソコンには詳しくないのですが、直がそう言ってくれるなら、頑張ってみます。

うん、そうした方が皆も楽になると思うわ!

でもいきなりデジタル化しろって言われても大変だと思うし、明了達が使いやすいような寺務管理システムを構築しちゃうわね。

既にある名簿とか書類を手作業で入力するのも大変だと思うし、OCRで読み取れるようにして……音声入力もできた方がいいかしら。

明了

ほうほう。

個人情報を扱うならセキュリティにも気を遣わなきゃだし……UIもなるべく直感的に使えるものにして……

明了

ふむふむ。

できれば公式サイトとかを作った方が、情報発信ができて便利なんだけど。もしやるならCMSがいいわよね。

明了

なるほど。

……と適当に相槌を打つものの、正直直の言葉の半分も理解できていなかった。
彼女が使っているパソコンも、父が『これからの時代はITらしい』と随分前に買ってきて、元々うちにあったものではあるのだが……

そういう家系なのか何なのか、誰も上手くパソコンを扱えず、ずっと置物状態になってしまっていたのだ。

ただ、直が色々部品を交換したり、『OS』とやらを新しいものにしてくれたので、今はそこそこの性能のものにはなっている……らしい。

明了

…………

明了

……直は、パソコンが得意なのですね。

明了

大学では、そういう分野を専攻されているのですか?

…………

問いかけると、直の動きがぴくりと一瞬だけ止まった。

大学ではどんなことをやっているのか――

会ってからふた月近くも経っているのに、随分今更な問いだとはわかっている。

もちろん今までにも、聞こうと思えばいつでも聞けたのだけれど、何となく直に話したくないような雰囲気があったので、その話題は避けていたのだった。

明了

(ですが、いつまでも腫れ物に触るような扱いをするのも何ですしね……)

明了

(直ははっきりした人ですから、教えたくないなら教えたくないと、そう言ってくれるでしょう)

気負うでもなく返答を待っていると、直はキーを叩く手を止め、私の方へ体ごと向き直った。

本当はあまり打ち明けたくないんだけど……明了に隠し事をするのも嫌だから、正直に言うわね。

わたしはね、俗に言う『天才』って区分に入れられる立場なの。

明了

天才……

口の中で繰り返しながら、大きな驚きはなかった。
会って3日めに、せいぜい1、2回程度しか聞いていないお経をすらすら暗誦していたし……

いま直が目の前でやっていた『システム構築』とやらも、ちょっとパソコンが得意……という程度でできるものではないことは、私にも何となくわかる。

欧米では『ギフテッド』って言われて、そういう人達が集まる専門の学校に通っていたわ。

芸術とか文学系はあまり得意じゃないんだけど、数学とか、プログラミング、科学系の分野が得意なの。

大学には飛び級で入って、今は院で神経科学の研究をしているわ。

神経科学は……そうね、脳科学っていう言い方がわかりやすいかしら。

その中でも私は、記憶に関するプロジェクトのリーダーを……務めているの。

早口気味に話し終えて、直は少しだけうつむいた。

私の反応を怖がるように。

明了

…………ほお~。

明了

それは大変でしょうが……頑張っているんですね、直は。

…………

……うん。わたし、頑張ってるのよ。色々大変なこともあるけど……頑張ってるの。

明了

ええ、わかります。

…………っ……

あのね……ギフテッドの人って、考え方もすごく成熟している人が多いのよ。

年下とか同い年とかと話すより、大人とか、同じギフテッドの人と話したがる傾向にあるの。

でも……わたしはこうじゃない?子供と遊ぶのも好きだし、同い年の友達とくだらない話もしたかったわ。

でも、ギフテッドじゃない同年代の子達には、避けられることも結構あったの。

悪気があったっていうより、話が合わなそうとか、そういう遠慮をされてたと思うのね。

逆にギフテッドの人達には、『そんなくだらない話はいいから、もっと実利的なことを語ろう』って言われたりもしたの。

別にみんな、わたしに意地悪をしたわけじゃないの。友達もいるし、皆良くしてくれるわ。

ただ、歯車が時々、噛み合わなかっただけよ。

でも……でも、わたし、たまに……

明了

…………寂しかったのですね。

…………

やっぱり……明了は、魔法使いだわ。

明了

はは、トメさんのお式の時に、直が自分で言っていたじゃないですか。

明了

ホームシックになりそうなときがあったって。

でも、明了はすごいの。わたしがそう思うんだから、そうなのよ。

明了

……私など、ただの凡夫に過ぎないのですが……

明了

でも、直みたいな頑張りやさんから『すごい』なんて言ってもらえるのは嬉しいですね。

…………明了。

呟いて、直は複雑な表情を、鮮やかな笑みに塗り替えた。

だから、わたし、明了のことが好きよ。

明了

…………え。

明了

え……あ、いや、それは光栄なことで……

…………

……あら? もしかして明了……

明了

あああそういえば、今日はまだ庫裏周りの掃き掃除をしていなかったので――

いま、わたしにドキッとしたわよね?

明了

………………。…………いえ、そんなことは……

ちょっと待ってて!

明了

……って、直……?

彼女はいきなり立ち上がると、玄関の方へ駆けていく。

かと思うと、すぐにあるものを手に戻ってきた。

ほら、嘘発見器!

明了

ああ……そういえば、何故かそれ、うちの玄関の置物になってたんでしたっけ。

怪しいセールスの撃退になるかなあと思って。でも、それより見てて。

『わたしは明了が好き』!

明了

ぶっ……

ほら、青いランプが光ってる。本当のことを言ってる証拠よ。

『わたしは明了が嫌い』。……ね、今度は赤いランプでしょう。

『わたしは明了が大好き』!!

……ほら~、青ランプがピカピカしてるじゃない!

明了

……は、はっはっはっは。

明了

いや~、ランプ光ってましたかねえ。自分の頭がピカピカしてるもんで、ちょっと良くわかりませんでしたよ。

あ、ちょっと、明了! どこ行くのよ。

明了

ですので、庫裏周りのお掃除です。私の頭くらいピカピカにしないとですよね! はっはっはっはっは。

私は気恥ずかしさに汗が滲みそうになるのを誤魔化しながら(誤魔化せていたかどうかは別として)、そそくさと外へ出ていったのだった。

…………

……ふっ……ふふっ、なあに、あれ。

わたしは明了がこそこそと出ていくのを見送って、思わず笑みをこぼしていた。

明了ってば、赤くなったりしちゃって。かわいいんだから。

……でも、良かったわ。あんなふうに照れるってことは、わたしをちょっとは意識してくれてるってことよね。

うふふ、やる気出てきたわ。よーし、頑張ってシステム構築の続きを……

檀家の奥さん

『住職さん、今日も直ちゃん来てるの?あら~仲良しね~』

明了

『え、ええ、まあ……』

…………

キーを叩こうとした手をピタッと止めて、わたしは外から聞こえてきた声に耳を傾ける。
どうも、世間話をしにきた檀家の人達に、明了が捕まっているみたいだ。

檀家のおばさん

直ちゃん、いい子よねえ。

檀家のおばさん

この前うちのおばあちゃんが、駅で階段を上る時、直ちゃんに荷物運びを手伝ってもらったって言ってたわ。

檀家の奥さん

境内で遊ぶ子達が怪我しないように、見守ってくれたりもするみたいですしねぇ。

檀家の奥さん

住職さんの『お嫁さん候補』として、町に馴染めるよう頑張ってるのね。応援したくなるわ~。

明了

いやあ、そう言ってもらえると直も喜ぶと……

檀家のおばさん

あらま、もう旦那さんみたいな口振りねえ。

明了

いっ、いえいえ!

檀家の奥さん

若い頃の私と夫みたい。初々しいわあ……

いつもならギャグで返す明了も、さっきのことがあったせいか、今は切れ味が鈍いみたいだった。

檀家のおばさん

『……で、どうなの? 本当にお嫁さんにしちゃうの?』

(……! おばさま、その調子です!)

檀家の奥さん

『なかなか、自分からお寺に嫁ぎたいっていう人も少ないでしょうしねえ。願ったり叶ったりなんじゃない?』

(ナイスアシストです奥さま!)

明了

『いやー……私のようなつまらない者が妻・家内を持つなどというのは……』

檀家のおばさん

『あんまりのんびりしてると、逃がした魚は大きいってことになっちゃうかもねえ』

明了

『う、うう~ん……』

(おばさま、奥さま、もう一押し!もう一押しをお願いします……!)

つい両手を組んで念を送っていると、ふいに変な沈黙が訪れる。

檀家のおばさん

『…………』

檀家のおばさん

『……ねえ、住職さん。もし本当に、直ちゃんと何でもないんだったら……』

明了

『は、はあ、何でしょう』

檀家のおばさん

『実は、いい縁談があるのよ。どうかしら?』

明了

『…………え』

…………

……………………えっ?