パラスティン邸
~4話~

公園

美鈴

見て、露衣! 北野の町が見下ろせるよ!

フェンスから身を乗り出せば、潮風が頬を撫でる。

背後には緑に囲まれた洋館が。そして、露衣が微妙な顔をして立っていた。

露衣

……おい、美鈴。

露衣

なんで、息抜きに出かけようと言って、近所を歩いているんだ。

今日はお店の定休日。

露衣とこうして出かけるのを決めたのは、数日前のことだった——

レストラン店内

露衣

2人で出かける?

眉間にしわを寄せる彼に頷く。

露衣

なんで店を立て直す話をしていたのに、お前と出かける話になるんだ。

露衣

息抜きなら、俺ひとりで出かけても問題はないだろう。

美鈴

だってひとりでいたら結局お店のことを考えちゃうじゃない。

美鈴

誰かと行ってお喋りして楽しんでれば、そんな暇ないでしょう?

美鈴

悩んで、悩んで、答えが出ないなら、たまには頭を空っぽにして楽しんだらどうかなって。

露衣

…………。

美鈴

それと!

美鈴

相手は私とは言ってませーん。誰か他にいい相手がいるなら、それに越したことはないですー。

露衣

……………………。

公園

結果、露衣は私と出かけることにした。

『俺は料理を作ってるときが一番楽しいし、お前が言う頭を空っぽにして楽しむのが何かわからない』

そう困ったように告げる露衣に、びっくりするほど料理が好きな人なんだと思う。

露衣

なんで、息抜きに出かけようと言って、近所を歩いているんだ。

露衣

ここは全く関係のない所へ行くところだろう。

美鈴

だって、露衣が楽しむことがわからないみたいに言うから。

美鈴

きっと住んでる町の良さも知らないんだろうなって。

露衣

…………。そんなことはない。北野の町の風景は気に入っている。

美鈴

ふふふ。風景以外だって、いいところはいっぱいあるよ。

美鈴

今日は私が案内するから、北野を楽しもうよ!

ねっ、と首を傾げてみれば、彼は眉をひそめる。
そして、予想外に笑った。

露衣

……楽しみにしてやるよ

北野坂

それから、2人で北野の町を回る。

近くの異人館を巡って、トリックアートを体験してみたり、美術館に寄ってみたり、少し心配もあったけど、露衣は思ったより楽しんでくれているみたいだった。

美術館

美鈴

うわぁ……。ねえ露衣、この絵の料理、すっごく美味しそうなんだけど……。

露衣

お前……。本当に食べることが好きなんだな。

美鈴

……否定はしないけど、露衣には言われたくない。

露衣

あはは。確かにそうだな。

露衣

ここを出たらどっかで飯でも食うか。

そう言いながら、さりげなく彼に肩を引き寄せられて鼓動が跳ねた。
後ろから来た人とぶつからないように、危なくないほうへ誘導してくれたのだと後から気付く。

露衣

お前は何が食いたい?

美鈴

あ……。あの、ハーブ園のレストランが有名で行ってみたいなって。

露衣

ああ、あそこ。確かによく話は聞くな。

美鈴

(こういうやりとり……)

美鈴

(ちょっとデートみたい……なんて、思ったり……)

普段より近い距離から聞こえる露衣の声につい意識してしまう。

レストラン店内

その後、私達はロープウェイに乗ってハーブ園に来ていた。
言っていた店で食事を済ませて、そろそろ出ようかというところだった。

美鈴

あ〜! すっごい美味しかった! 色んな料理が食べれて楽しかったね。

露衣

まあ、たくさんの種類を楽しめるのは良かったな。

露衣

だが、いくらビュッフェスタイルとはいえ食べすぎじゃないか……。

美鈴

だって色んなハーブが使われてて、食べたくなるじゃない。

美鈴

これとこれは合うんだな〜とか。あのハーブ使うとこうなるんだ、とか。

露衣

……お前、食べるのもそうだけど、ハーブとかそういう食材好きだよな。

美鈴

あれ? わかる?

露衣

まあ、見てれば。

話しながら露衣は私のためにお店のドアを開けてくれる。
それがすごく自然な行為で。イケメンだからだろうか、嫌味がなく見えた。

露衣

なんだ? 変な顔して。

美鈴

あ……。いや、今日一緒に出かけてみて露衣って思ってたより……、

美鈴

ううん、普通の男の人よりレディーファーストだなって。

美鈴

ずっと俺様だと思っていたから、正直驚いてる。

露衣

お前……だからそれ、褒めてんのか、けなしてるのか。

美鈴

えっと、今日のは素直に褒めてる。

露衣

はは、なんだそれ。

屈託なく笑う露衣にどきりとする。
今日一日、彼が笑顔を見せる度、達成感のようなものを味わっていた。

ハーブ園

外に出れば心地よい風が吹いて、騒ぐ心を落ち着かせてくれる。

露衣

レディーファースト、か。

露衣

多分、それは俺の父親がロシア人だからだろ。

露衣

ロシアの男は基本レディーファーストだからな。家庭内でそういう習慣がしみついてる。

美鈴

あ……。そっか、そういえば、前にハーフだって言ってたね。

美鈴

お店は実家だと思ってたけど、ご両親は見かけないし……。もしかして露衣ってロシアで育った人?

露衣

いや、育ったのはあの家だよ。父もレストランを経営していてね。

露衣

ずっと日本でやっていたけど、今はそれをロシアに移して、母と2人でそっちに住んでる。

美鈴

へえ〜、レストランを……。

美鈴

……だから、露衣も料理人になろうと思ったの?

露衣

ん……、まあ、そうかもな。料理が遊びの一部だったからな。

露衣

一緒に並んで作ってるうちに、どんどんのめり込んでいって……。

美鈴

(……そうだったんだ)

美鈴

(知り合っていくらか経つけど、こんなふうに露衣のプライベートを聞いたのは初めてかも)

優しい顔で話をしてる露衣に思わず頬が緩む。

美鈴

(息抜き……成功したのかな?)

それが少し彼に近づけた気がして、嬉しい気持ちが広がっていった。

それから、しばらく園内を散策していると、園の人が私達を呼び止める。

ハーブ園従業員

あ、お客様。誓いの鐘はあちらですよ。

美鈴

え……っ。

露衣

誓いの鐘……?

ハーブ園従業員

ええ、鐘を鳴らしに来たんでしょう?是非、願いを込めてお2人で鳴らしてくださいね。

美鈴

(誓いの鐘って、カップルに人気のあれ!?)

そう、恋人同士が愛を誓い合って鐘を鳴らす、このハーブ園のお決まりのデートコーススポットだ。

美鈴

あ、あの、私達は……。

露衣

願いを込めて……か。

露衣

いいな。せっかくだからこれから店を良くしていけるよう誓っていくか。

美鈴

えっ! ええっ!!

美鈴

ほ、本気なの!?

露衣

なんだ、不都合があるのか。

普通の誓いだと信じてる彼に、思わず口ごもる。

いや別に愛以外を誓ったっていいんだろうけど!

露衣

ほら、美鈴。来い。

彼が持つ鐘に吊るされた紐に、私も手を添えた。
短い紐で、手が触れないようにするのは難しい。

露衣

それにしても……周りはカップルばっかりだな。

美鈴

(か……カップル専用なんですよー)

そう心の中だけで叫んで、私は彼と誓いの鐘を鳴らしたのだった。

レストラン店内

そんな、楽しく過ごした日から数日後——

美鈴

え……。彼女も辞めちゃったの?

露衣が難しい顔で頷く。

彼の息抜きは成功したものの、すぐには店の根本的な悩みは解決できず、客足の遠のいた『パラスティン邸』の従業員は、とうとう私と彼だけになっていた。

露衣

募集はかけているが期待はできないだろう。申し訳ないが、しばらくフロアは一人で頑張ってくれ。

露衣

店のことは俺が考える。お前は接客のことだけを頼む。

美鈴

ううん、私にも考えさせて。協力するって言ったじゃない。

露衣

ありがたい話だが、これは本来、俺がどうにかしなければいけないことだ。

露衣

美鈴は気にしなくていい。

美鈴

そんなわけにはいかないよ。私だってちゃんと考えて——

露衣

この話はここで終わりだ。よろしく頼む。

美鈴

露衣……!

私の呼び止めも聞かず、彼は厨房へと戻ってしまう。

美鈴

そんなこと言ったって……。

美鈴

(じっとなんてしてられない。何かできることがあるなら、私だってしていきたい)

美鈴

(そりゃあ、一人で接客することだって簡単なことじゃないけど……)

美鈴

(でも、それだけじゃなくて……)

美鈴

きっと、私にだってできることがあるはず!

ぱん、と両頬を叩く。ひりひりとする顔を押さえながら呪文のように呟いた。

美鈴

私のできること!私のできること……!

美鈴

あっ……!

レストラン店内

美鈴

ご来店ありがとうございました!

美鈴

今日のお料理はいかがでしたか? 何か苦手な物などなかったでしょうか。

お客様

そうねえ……。

お客様の意見を直接聞く——

美鈴

(多分、これが私に一番できることだよね!)

美鈴

(うん! もっともっとお客様に声をかけて、来てもらった感想や意見を聞いていこう)

美鈴

(それで、少しでもお店を改善していくのに役立てるんだ……!)

美鈴の部屋

聞いた意見と共に、私自身もお店のいいところを探して、それを自宅に帰ってからノートにまとめていた。

美鈴

(これが、起死回生のヒントになればいいんだけど……)

美鈴

あっ! もう、こんな時間!

美鈴

お風呂も入ってないのに……夢中になり過ぎちゃった。

時計を見て、急いでテーブルの上を片付ける。
これを始めてから、気がついたらいつも日付をまたいでいた。

美鈴

露衣……見てくれるかな。

目の前のノートに指を滑らす。

美鈴

見てもらえなくても……何か役に立てるといいんだけど。

美鈴

(最近の露衣は……焦ってるのかな。苛立ってるのがよくわかる)

美鈴

(それがなんだか参っているように見えて……。心配だよ)

レストラン店内

お客様

ねえ……この料理、味が変わった? 前と違うような気がするんだけど……。

お客様の不満げな声にどきりとする。

美鈴

すみません。料理の改良はございませんので、お気に召さなければ、お作り直しいたしますが……。

お客様

うーん、いいわ。なんかちょっと、前の方が美味しかった気がするだけだから。

美鈴

……申し訳ございません……。

美鈴

(料理の味が変わってるなんて……)

美鈴

(あんなに味にこだわっていた露衣が……?)

レストラン廊下

美鈴

露衣、コーヒー豆のストックが見当たらないんだけど、場所変えた?

露衣

コーヒー……?

怪訝な顔をしたかと思うと、彼は大きく息を吐く。

露衣

すまない。発注ミスだ。すぐに頼んでおく。

美鈴

あ……じゃあ、近くのコーヒー屋さんで買ってくるよ。確か同じ種類が……。

露衣

コーヒーの発注場所は決めている。余計なことをするな!

美鈴

…………。

いつもよりキツめの口調。

それに自身も気がついたのか、露衣はハッとした後、私から目線を逸らした。

美鈴

(……ここのところ、こんなのばっかりだ)

美鈴

ねえ、露衣。ちゃんと休んでるの?

露衣

…………。

美鈴

定休日だって、ずっとお店のことをしてるんじゃ……。たまには休んだり、息抜きしないと……。

露衣

問題ない。

美鈴

だって!

露衣

一人でやる以上やることが多いのは当たり前だ。

露衣

何もしなければ、何も変わらない。

美鈴

っ! それは……その通りなんだけど!

美鈴

でも、露衣が倒れたらどうするのよ!

露衣

……そうだな、お前の大事な店が開けなくなるな。

冷たく皮肉る彼に、思わずカッとなる。

美鈴

バカっ!!

露衣

は?

美鈴

露衣のバカ! バカ! バカっ!!

美鈴

露衣のことがっ! 心配だって言ってんじゃん!

美鈴

もっと自分のこと大事にしなさいよ!!

露衣

あ……っ、おいっ!

北野坂

美鈴

はあっ……はあ……。

気がつけば外まで駆けてきていた。
足を止めれば目の奥が熱くなっていく。

美鈴

……バカは私だよ……。

美鈴

も〜。子供みたいにかんしゃく起こして!

やりきれない気持ちを持て余して、くしゃくしゃと頭をかき回す。

美鈴

(露衣はお店のためにあんなに頑張ってるのに……)

美鈴

(大きなこと言って、結局何も手伝えてなんかいない)

まとめているノートのことを思い出したけど、無力さが増していくだけだった。

美鈴

私がそんなことやったって、やっぱり何の意味もないのかな……。

美鈴

せっかく近づけたと思ってたのに、助けてあげることもできないの……。

美鈴

(これから、一体どうしたらいいんだろう……)